米子がいな祭とは

【がいな花火大会】
第一回の花火大会から祭のメインとして位置づけられて来た大花火大会。最初は2,3万人の人出が年を追う事に増え、10万人規模にまでふくれあがってきました。特に第10回では西日本初の3尺玉を打上げ、会場周辺からは、どよめきと嵐の様な拍手が沸き上がり、観客の中からは「アンコール」の声があがったほどでした。第11回からナイアガラの仕掛け花火(通称ガイナガラ)を実施しました。第13回ではその仕掛け花火でギネスに挑戦し、大山と同じ1711メートルの花火を仕掛け、見事世界一の仕掛け花火としてギネスブックに認定されました。第21回からは台船を中海の海上に設置し、それまで不可能だった水中花火を漁協の協力のもと実施。演出に大きな効果をもたらしました。さらに第34回からは米子港を開放した観覧席の設置など常に新しい試みを行っています。がいな祭のフィナーレを飾る大花火大会。どうぞ本年度もご期待ください!

【米子がいな万灯】
米子がいな万灯は、昭和60年に米子にもっと元気・活気あるものが欲しいとの思いで、秋田市の「竿燈」を手本として発足し、今ではがいな祭にかかせない存在となっています。近年では技術の向上・伝統の継承を目的に伝承部が発足し万灯のさらなるレベルアップを目指しています。米子の夜空を輝かす万灯。是非「元気・活気」あるがいな万灯を目の前でご覧ください。

【米子がいな太鼓】
昭和49年に新しい形の祭として米子がいな祭が誕生し、その中のイベントの一つであった「全国有名太鼓共演」の和太鼓の素晴しさに魅せられた若者が中心となり、米子にも郷土芸能と呼ばれる素晴しい太鼓を創ろうという気運が高まりました。そこで出演者であった山梨県甲府市の天野宣氏に作曲、指導をしてもらい、第二回米子がいな祭の前夜祭でデビューを果たしたのが「米子がいな太鼓」でした。それ以来祭には欠かす事の出来ない存在となり、数々の企画に携わってきました。その勇姿をぜひがいな祭の場でご覧下さい。

【パレード】
米子がいな祭は記念すべき第一回においてパレード方式を採用したことから、長年にわたってこのスタイルが中心となってきました。その中でがいな太鼓の先陣をきる「よっちゃばれ」という非常にノリのいいおはやしが昭和60年の大パレードでとりあげられたのが好評をはくし、平成元年の第16回がいな祭ではこの「よっちゃばれ」が300人の規模でパレードの最後尾を飾ったと言われています。そして「よっちゃばれ」を「やんちゃばやし」と名を変え従来の大パレードから独立した事により、現在のスタイルとなりました。さらに平成8年、「高知よさこい祭」のよさこい隊が、がいな祭に参加し、「よさこい鳴子おどり」の勇壮な踊りに観客は度肝を抜かれ盛況を極めました。これに感化され、「鳥取県よさこい踊り子隊」が結成され、翌年のがいな祭で踊りを披露したところ、観客から絶賛されたのです。「やんちゃばやし」はその後「やんちゃパレード」となり「よさこい」のスタイルが一種定番のようになりましたが、そもそもは誰でもが参加して楽しもうという歴史があります。スタイルは気にせず、様々な踊りで祭に参加し盛り上がってください。皆様の出演を心よりお待ちしております。